史跡 First-ryukyu-gods

大切に受け継がれてきたうるまのタカラモノ First-ryukyu-gods

うるま市には、大切に受け継がれてきた多くの史跡が残っており、歴史の奥深さを感じることができます。
こちらのページでは、その中から主な史跡をピックアップしてご紹介していきます。
うるまの歴史を感じるグスク(城跡)
世界遺産勝連城跡
「勝連城跡」は沖縄本島の中部、勝連半島に築かれている城跡で、地方の有力城主だった阿麻和利(あまわり)の居城として有名です。
2000年に、ユネスコの世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして登録され、県内外からも観光客が訪れる人気スポットとなっています。
自然の断崖を利用した難攻不落の城と言われる勝連城ですが、そのイメージとは裏腹に、城壁の優雅な曲線は芸術的な美しさを感じさせます。
頂上からは、太平洋に輝くコバルトブルーの海が一望できる美しい城跡です。


安慶名城跡(国指定史跡)
「安慶名城跡」は、安慶名中央公園内にある史跡で、14世紀頃に安慶名按司(あげなあじ)によって築城されたと言われています。
外からは外観が見えないため、森の中に突如として現れる珍しい史跡です。
城の北側には、「天願川」(大川)が流れていることから、別名「大川城」とも呼ばれています。
安慶名城の城壁は、自然石で石垣を積み上げる「野面積み」という手法で作られています。
頂上からは、かつて全島闘牛大会の会場として使用されていた「安慶名闘牛場」を見下ろすことができ、闘牛が活発なうるま市の歴史を感じることができます。


伊波城跡(県指定史跡)
「伊波城跡」はうるま市石川の標高90mの丘にあり、今帰仁城主の子孫、伊波按司(いはあじ)によって14世紀に築城されたと言われています。
城壁は、安慶名城跡と同様に自然石で石垣を積み上げる「野面積み」という手法で作られています。
城跡からは外国製陶器や青磁の破片も発見されており、美しい旧石川市内を一望することもできるため、当時の繁栄ぶりを伺い知ることができます。


神秘的で歴史を感じる史跡
仲原遺跡(国指定史跡)
「仲原遺跡(なかばるいせき)」は、伊計島の中心に位置している県内最大の竪穴式住居の史跡です。
かつてはサトウキビ畑として利用されていましたが、調査によって、竪穴式住居跡、土器、鉢、壺、石斧など、縄文時代後期から弥生時代前期にかけての遺物が発見されたため、史跡として当時の集落を再現し保存されています。
また、伊計島特有の平らな地形によって台風や潮風の影響を受けてしまわないよう、史跡周辺には樹木が植えられています。


シルミチュー(市指定有形民俗文化財)
「シルミチュー」は、浜比嘉島にある鍾乳洞のことで、そこに琉球開闢(かいびゃく)の祖神シネリキヨ(シルミチュー) とアマミキヨ(アマミチュー) が住み、子どもを授かったと伝えられています。
シルミチュー入り口には鳥居が設けられており、その奥に伸びる108段の長い階段をのぼると、シルミチューが見えてきます。
うるま市の中でも有名なパワースポット「シルミチュー」。ぜひ現地で神秘的な魅力を体感してください。


アマミチューの墓(市指定史跡)
「アマミチューの墓」は、琉球開闢(かいびゃく)の祖神、アマミキヨ(アマミチュー)とシネリキヨ(シルミチュー)が祀られているお墓です。
浜比嘉島の美しい海に囲まれたアマミチューの墓は、シルミチューと同様パワースポットとしても人気で、干潮時のみ現れる小さな橋を渡って行くことができます。
一日のうち限られた時間しか足を運べないアマミチューの墓は、貴重な史跡の一つです。


平敷屋タキノー(市指定史跡)
勝連半島の南端に所在する標高70m余りの小さな丘「平敷屋タキノー(へしきやたきのー)」。周辺地域も同じく平敷屋タキノーと呼ばれています。
琉球王府時代の和文学者だった平敷屋朝敏が、水不足に苦しむ農民のために溜池を堀り、その際に掘り出した土を盛って築いた小さな丘です。
この平敷屋タキノーからは、自衛隊駐屯地や米軍施設のホワイトビーチなども見ることができます。
普段見ることができない施設を観察できるのも魅力です。

またここには平敷屋朝敏の歌碑があり、歌碑巡りをされる方のスポットになっています。
著作に和文の物語『苔の下』『貧家記』や組踊の演目『手水の縁』があり、沖縄三十六歌仙の一人です。

平敷屋製糖工場跡(国登録記念物)
「平敷屋製糖工場跡」は、戦争当時の状況を伝える貴重な文化財として、うるま市の文化財・国登録記念物に登録されています。
現地に足を入れると、戦争の弾痕が生々しく残るイギリス積みの赤レンガ煙突が目に飛び込んできます。今残っているのは1つの煙突だけです。
これからも後世に残したい貴重な史跡のひとつです。


ワイトゥイ(市指定史跡)
人の力で岩山をくりぬくという難工事の末に完成した悲願の農道「ワイトゥイ」。うるま市勝連の平安名集落にあります。
かつて村民たちは急崖の山道を登り降りしていましたが、岩山をトゥングェー(金鍬)とカニガラ(石割棒)など人の力だけで150mもくりぬいて、農道「ワイトゥイ」を完成させました。完成までに1932年から3年の歳月が費やされました。
正式名称は比殿(ヒドゥン)農道ですが、『岩を割って取った』という意味で、地元の人からは「ワイトゥイ」と呼ばれており、うるま市の指定文化財に登録されています。


